伊豆急103号車ラストラン

親父から聞いた、小さいころの記憶

子どものころ、旅行といえば「熱海」でした。覚えている記憶では、スーパービュー踊り子に乗車していくのが通例。熱海より西には行くことがなかった…と、つい先日まで思っていました。
今回、伊豆急100系が無くなると聞き、乗りに行くか迷っていました。そんなとき、親父との会話の中で、私が伊豆急100系に乗車したことがあることが判明。詳細は分かりませんでしたが、親父談では確実に乗っているそうです。
この話を聞いて、やはり人生で一度でも乗ったことがあるなら、その記憶を取り戻す旅に出る必要があると考え、7/5の「ラストラン」へと向かいました。

というわけで、7/4日の夜の、早速伊豆に繰り出します。
熱海から、伊東線・伊豆急行線を経由して伊豆急下田へ向かいました。

【本篇】ラストラン当日

当日受付で先着50名×2回の計100名の乗車でした。私は1回目の定員に間に合わなかったため、2回目の乗車となりました。しかし、それがまさかの結果を生み出します。

伊豆急行の記憶の中で最も強い記憶は、「ロイヤルボックス」の存在です。幼稚園の頃見たビデオでは、「トンネルに入ると天井が星空になる特別な車両も付いていて…」という文言で紹介されたロイヤルボックス。しかし、私が乗った当時のリゾート21は、すでにロイヤルボックスの連結をやめていました。

伊豆急のホームページに載っている情報によると、今年の夏の期間、ロイヤルボックスを連結するリゾート21があるということで、ずっと乗りたかったのですが、1回目の先着に間に合わなかったことが幸いし、ロイヤルボックスに短時間ですが、乗ることができたのです!

乗車区間は蓮台寺~伊豆急下田~片瀬白田間。やってきたのは黒船電車こと、伊豆急2100系4次車。現存する2100系の中で、ロイヤルボックスが残るのはこの編成だけです。そして、一番2100系の原形をとどめている編成でもあります。
そして、下がロイヤルボックスのトンネル内での車内。

夜の星空と海を表現した星空天井。まるで、本当に夜景を見ているかのようです。現在唯一残っているこの車両はサロ2182・「ロマンチック」。ほかに、サロ2181「ドリーム」、サロ2183「アドベンチャー」、サロ2184「ファンタジー」、サロ2191「アクアプロムナード」と存在していましたが、サロ2191はTHE ROYAL EXPRESSに改造、それ以外は各車廃車となっています。

車内はこのように2×1の3列。座席はクロスシートですが、傾けて止めることができ、足元を広々使いつつ、景色を楽しむことができるようになっています。

列車は、蓮台寺駅を発車するとすぐに伊豆急下田へと到着。一度改札を済ませてから折り返しの作業を見学しました。

リゾート21は日中走行では普段一灯しか使わないので、折り返し時のみ見られる二灯点灯は結構貴重かと。さすがにフォグランプまでは点灯していませんでした。

そして折り返し列車に乗車。せっかくなので座席を斜めにしながら使ってみました。テーブルには小さなボタンが付いていて、車内アテンダントがいた時代はこれでアテンダントを呼び出すことができました。長方形のくぼみは開けることができ、中にごみを捨てることができました。現在も使えるのかは不明ですが…

リゾート21には片瀬白田まで乗車し、その後は普通列車で再び伊豆急下田駅へ向かいました。伊豆急下田に到着すると、すでに103号車が待機。いよいよ、懐かしいスタイルの車両に乗車するときが来ました。

100系の外観は、ザ・昭和の車体。2灯のオデコライトに左右に設置されたテールライト、そして三枚窓の貫通型。昭和の時代の電車はどれもこのようなスタイルが多かったように思えます。シンプルですが、よく考えられたデザインです。

車内はいたってシンプルなボックス席が並んでおりました。国鉄の急行型に準じて、片開2ドアにこの座席が並ぶスタイル…なのですが、

特殊なのは、ドア横にロングシートが設置された、「片開2ドアセミクロスシート」という配置です。混雑のこともしっかりと考えられているのは感心させられます。

車内には、ヘッドマークの展示が。乗り鉄向け企画だとこういう展示が結構多いですよね。自分は賛でも否でもないのですが、貴重なヘッドマークの写真を撮れてうれしい反面、別にわざわざ車内になくてもいいんじゃ…と、複雑な気持ちになります。
まあ、鉄道会社があれこれ考えてくれる気持ちは素直にすっごくありがたいんですけどね。

列車に揺られてしばし懐かしい時間に浸っていると、あっという間に片瀬白田駅に到着。ここから撮影会となり、この乗車イベント向けの様々なヘッドマークを掲出していました。

折り返しが意外と短いため、すぐに反対側のホームへと回り込みます。単行の電車は、簡単に一枚の画像に収められるので撮影が楽でいいですね。

台車が特殊なのが少し気になります。TS316-Aという台車。調べるとあの東急5000系の台車の駆動装置違い(5000系・直角カルダン⇒100系・中空軸平行カルダン)とのことです。以前、ギアに斜歯車ではなく平歯車を使っていたことから、駆動音に特徴があったのですが、現在は斜歯車になってしまっています。

行きはほぼ各駅だったのですが、帰りの電車は伊豆急下田までほぼノンストップ。引退する電車とは思えないほどのスピードに驚かされっぱなしでした。
列車は伊豆急下田に到着。残念ながら私は2分の折り返しで特急踊り子に飛び乗りました。

あとがき

今回は、車両の保存について少し考えさせられました。2019年7月7日に、昭和の名車がまた一つ、線路を去ってしまったわけです。時の流れは残酷なもので、2011年に復活してから早8年、あちこち痛みも出ており、新型保安装置という鉄道の基本の取り付けが不可ということで仕方ないところはあります。そう、「安全の確保」こそが鉄道で最も大切な部分であり、それこそが鉄道の保存を妨げる原因にもなっています。日本は土地も狭く、保存鉄道という概念もまだまだ浸透していません。しかしながら、海外の事例を見れば、旧い時代そのままの方式で安全に運転される保存鉄道が数多あるのもまた事実です。現状日本では、バリアフリー対応や安全基準を含め、古い車両の保存を妨げる様々な法律や、一般旅客の期待もあり、今後ますます本線での保存は難しくなっていくものと思われます。今後、鉄道事業法に沿わない、いわゆる「遊具・建築物」としての保存鉄道が増えていくことも期待して、今回の記事の締めくくりとさせていただきます。

動画(おまけ)

さて、最後までご覧いただきありがとうございました。今回は動画でもラストランの様子を収めてきました。区間は蓮台寺~稲梓間です。皆様も懐かしい抵抗制御・カルダン駆動の走行音をお楽しみください。

夏の鉄道一人旅2010

人生初の一人旅

2010年、当時のJR西日本は国鉄優等列車が最後の活躍をしていました。
もちろん、JR東日本でもまだまだ現役だった国鉄車両ですが、当時のJR西日本には、東日本からはすでに定期運用を終了した列車が多数残っていました。

同年8月14日、私は人生初の一人旅を決行することにしました。当時残っていたJR西日本の貴重な車両に乗りに行く旅です。
私は、青春18きっぷを使いつつも、それらの優等列車に乗るための計画を練りました。今回、鉄道博物館に所蔵されていた2010年7月の時刻表を参考に、その当時の旅の行程を振り返ることにしました。

行程表

実際に当時作成した行程表はもう残っていなかったので、私の記憶と、当時の写真を頼りに、列車の特定を進めました。その結果、当時の旅程は以下の通りだったと思われます。(形式は不詳も多いですが、ご了承ください。)

757M東京-熱海(08:16-10:17)・211系
433M熱海-興津(10:16-11:13)・313系
763M興津-浜松(11:24-12:52)・313系
943M浜松-豊橋(13:21-13:55)・313系
5511F豊橋-米原(14:01-16:11)・313系
3281M米原-大阪(16:19-17:50)・223系
5D大阪-神戸(18:05-18:30)・キハ181系「はまかぜ5号」
3296M神戸-大阪(18:48-19:13)・223系
501M大阪-新潟(23:27-08:29)・583系「きたぐに」
8226レ新潟-会津若松(09:43-13:31)・C57-180+12系「SLばんえつ物語」
1214M会津若松-郡山(14:14-15:16)・485系「あいづライナー」
2142M郡山-黒磯(15:20-16:23)・701系
3544M黒磯-上野(16:35-19:10)・E231系「ラビット」

【本編】写真でたどる、旅の記憶

当時、撮影していなかった車両に関しては、最近の写真で掲載しています。

いきなりイメージで本当に申し訳なく思っています。211系。写真は宇都宮・高崎線用です。当時は東海道線の東京~熱海間でも運用されていたため、本当であればその車両を収めておくべきだったのですが、当時の私にはその価値がわからなかったようです。東京~熱海をこれで移動しました。

東海道線区間はこいつらに乗った記憶しかございません。もちろん当時の写真なんて撮ってるわけもなくあくまでイメージです。まあ、211系はさておき313系なんて腐るほどいますから、しばらくは記録の必要はないでしょう。ただ、併結などの特殊な運用は記録しておきたいところです。
この2車種を駆使して熱海~米原の大移動です。

米原~大阪間は223系。転落防止ほろがついてすっかり格好が悪くなってしまった同車ですが、当時はまだ付いておらず、りりしい印象が持てました。これもイメージ写真。当時の汚いコンパクトデジタルカメラ写真よりかははるかにマシなので、これでお許しを…

ようやく当時の写真が出てきました。キハ181系、特急はまかぜです。当時の同車、すでに定期運用はこの特急はまかぜしかありませんでした。そんな貴重な車両、本音は終点まで乗りたいところ。しかし、当時中坊の私は、残念ながら大阪~神戸間片道のみの乗車…

神戸から戻り、その夜は大阪駅でひたすら撮影をしながら、4時間半弱という長い待ち時間を過ごしていました。

夜も更け、23:00頃、急行きたぐにが入線してきました。早速車内に乗り込み、今宵の宿、電車B寝台中段に乗車です。まあ、中学生だったからできましたが、今中段に乗れと言われたら、少しばかりキツイものがあるのでしょう。

車内はこんな感じ。スリッパが散乱していました。発車して30分、24:00も過ぎる頃には、すっかり眠くなり、寝てしまったのは今だからこそ悔やまれるところであります。もっと車内探検しておけば…とは言うものの、車内の迷惑を考えたら、この程度で収めておいて正解だったとも思いますが。

このあたりの写真を撮っておいたのは正解でした。583系の自由席・グリーン車、寝台、二段窓、急行の文字どれをとっても、今撮ることのできない貴重な写真です。当時の自分に感謝。

新潟からは、SLばんえつ物語。当時はまだ12系客車も1度目のリニューアルをして数年程度でした。今や茶色のおしゃれデザインに変わってしまいましたが…
しっかりと後補機を撮影していたのは偉いですが、こいつは現役だそうです(笑)

会津若松からは会津ライナー。これもイメージ。当時はあかべぇ色の車両だった気がしますが、残念ながら国鉄色の写真しか残っていませんでした。これはこれで大好きなのですが、あかべぇ色撮っていなかったのは惜しい…

そして郡山からこれらを乗り継いで上野へ。最後もイメージ。485系ですらまともに撮っていないので、当然ながら、こんなどうでもいい車両撮ってなんかいませんでした。

あとがき

未来は予想不可能です。何がなくなって何がなくならないか。簡単にわかればいいのですが、そうもいきません。これらをいかに予想して写真に収めておくかがこのつまらなくなってしまった鉄道界を楽しむ工夫だと思います。
…ところで、今の中学生や高校生は何が楽しくてこんな趣味をしているんでしょうか。銀色の電車ばかり撮って…って、まあ、それも楽しいは楽しいですが。
結局、本能的なところなんでしょうね。今後も、この趣味を謳歌していけたらなと思っております。投稿日は、旅行実施後の2010年8月15日にしています。

5070系さよなら運転

東武5070系とは

2004年10月19日の東武鉄道ダイヤ改正で、100km/h運転を開始した東武野田線。この路線から10月18日をもって退役した列車が、5070系です。
5070系は、1984年に東武78系もしくは7800系と呼ばれたグループの車両の車体を乗せ換え、HSCブレーキ(自動空気ブレーキ併用電磁直通ブレーキ)を搭載した6両固定編成の車両。伊勢崎線系統で運用され、新製時から野田線に配置された車両が多くあります。

思い出の車両

さて、そんな5070系、なぜ私が2019年にもなって15年前の出来事を取り上げるのかというと、私の鉄道好きの「原点」となっている車両だからです。

幼少時代、野田線には8000系と5070系の2種類の車両が配置されておりました。それぞれカルダン駆動と吊り掛け駆動と、走行時の音に大きな違いがあったわけですが、当時の私は、吊り掛けの5070系が来ると、とてもうれしかったのです。

子供のころといえば普通は新幹線だったり、スポーツカーだったり、そこから派生して戦隊ものに向かうというのが常というものでしょうが、私はそんなことはお構いなしに、SLと吊り掛け電車を愛し続けていたわけです。

さて、そんな幼少車両が引退するなんて、そんなショックなことはありません。父親と最後の5070系に乗りに行ったのが、私の人生初の「さよなら運転」だったわけです。

【本篇】さよなら運転当日

5070系のさよなら運転は、臨時ダイヤでの運転が2004年10月16日と17日の2日間に分けて行われ、18日には当時在籍していた3編成全車が営業運転を行うという形で行われました。私はその初日、2004年10月16日のみの乗車で留まりました。サボ受けを有していた5070系は、このようなヘッドマークが用意され、サボ受けに差し込まれて運転がなされました。

ヘッドマーク交換が終了し、いよいよ乗車。この日は大宮~柏~七光台の運転でした。吊り掛けの爆音を堪能しつつ、柏駅までおよそ1時間10分ほどの道のり。途中の野田市駅では、3番線ホームを利用した撮影会が行われました。

決して上手い写真ではありませんが、良い写真が撮れていたと思います。そして、幼少の私は、何を考えたのか、見事に5070系の特徴の一つ、コロ軸受け化改造を受けた旧型台車の写真を見事に抑えていたのです。

人の手が写り込んでいますが、良く撮れていました。こうも接近したFS-10の台車近影はあまりないのではと思っていますが、どうなんでしょう。

その後、再び動き出した吊り掛け電車は、いよいよ終点の柏に向かいました。

柏駅でも撮影タイム。レンズが曇っていてきれいな画像はありませんでしたが、今や両方とも現存しない、5182Fと8102F(両方とも末番が2!)のきれいなツーショット、そしてホーム柵が設置されていなかった当時の柏駅。今になって、よくこんな貴重な写真を撮っていたなと思っています。年を取るのは怖いですね。

柏高島屋でご飯を食べ、再び5070系に乗った後は終点の七光台へ。七光台はその後の営業列車の関係もあってすぐの発車でしたが、汽笛の音、うなる吊り掛けを響かせながら車庫に向かいました。

七光台の車庫の端から、5070系を眺めることができました。車番を確認した限り、左から8142F、5181F、8140F、5182F、8446Fと、すでに廃車になった車両しか写っていないようです。

あとがき

久々に思い出した子供のころ。私の中に残る吊り掛けの音。すごく懐かしい気分でこの記事を書きました。思えば、営業線の側線にさえ入ることが難しくなってしまったこのご時世。鉄道は嫌いじゃないですが、やっぱりつまらなくなってしまいました。ですが、またこんな素敵な車両に出会えることを信じて、乗り鉄を続けていきたいな…と思っています。

公開日時は、当時に思いを馳せるため、5070系の引退日、2004年10月18日とさせていただきました。ご了承ください。